アーロン収容所

「アーロン収容所」という新書があります。
これは第二次世界大戦に敗れた日本側の兵士達が英国人の管理する捕虜収容所に収容された時の記録です。
日本が連合国側の兵士をぞんざいに扱ったことが「捕虜虐待」とされ、その咎を背負って多くのC級戦犯が命を落としました。
しかし、敗戦国である日本の兵士がアーロン収容所で扱われた様子を読むと、確かに物質面では満ち足りている連合国側だけに、最低限の衣食住は確保されていたものの、本当に人間としての尊厳を守った扱いをせねばならないと自覚していた人が英国側にどの程度いたのだろうかと感じ、そこに「黄色いサル」が有能なる白色人種に歯向かったことへの懲罰のようなものを感じてしまいました。
有色人種は常に白色人種の下にあり、それに仕え、それに従うのが正しい生き方だと思っている人がまだまだ欧米人の意識にあったのだと思ったものです。
汚物を浴びせられたり、およそ人間に対する最低限の礼儀すらない場合もあります。
また、巧妙に飢えで苦しむ日本人捕虜をアメーバー赤痢菌を持つ沢蟹のいる中州に連れて行き、「この蟹は食べちゃいけないよ」と忠告したのだから、食べて死んだ奴等が悪いと言ってばたばたと死んでいく日本人捕虜を眺めている英国人の姿に、彼らの狡猾、かつ用意周到なやり口を感じ、「さすが一筋縄ではいかない欧州の人達だ」と感心させられました。
ここらへんの権謀策術は能天気?なアメリカにはできない技でしょう。
しかし、英国人の若い将校が日本人捕虜が「私たちが間違っていた。これからは仲良くしましょう」みたいなおためごかしを言うと
「君達は奴隷か?」と言い、
「私は君達は君達の正義のために戦ったと信じてきた。私の戦友は日本の侍と戦って死んだと思っている。それが君達が自分達が間違っていたと言うのなら、君達は間違っていると思っても上の命令を聞いて動く奴隷なのか。私の戦友は奴隷と戦って死んだのか」と言います。
私はこの部分が非常に好きです。
英国の騎士道に則ったジェントルマンらしい発想です。
自分達の価値観のみを正しいと信じ、それを押し付けるアメリカの「アメリカの正義」とはまた違う、戦った相手にも敬意を払う騎士道の精神。
日本人を黄色いサルと見なして失礼なことをする傲慢な白豪主義がある一方、戦った相手を同等のものと見なして相手には相手の正義があることを知っている騎士道精神もある英国。
ソ連や中国に捕虜とされた人達は、そこで共産主義教育をされました。
アメリカに捕虜とされた人達はアメリカの正義を押し付けられました。
しかし、アーロン収容所という、英国人が管理する捕虜収容所にはかつて大英帝国として多くの国を支配した英国らしさが感じられます。
別の文化のもとに育った人達を自分達の色では染めきれないことを理解し、共生はしても相手に同じ価値観を求めないという姿勢。
たとえばそこに相手を蔑視する視線が含まれていても、相手を頭の先から足の先まで自分達と同じ価値観に変えようとしない。
役割をこなし、すべきことをしていれば、別にそれでいいという価値観。
英国軍に属していながら、有色人種ということで下に見られていたインド兵、そして地元の人達。同じ有色人種ということでインド兵の中には日本人捕虜に親しみを抱いている者さえいます。
多様な価値を認め、同じ屋根の下にあっても「あんたはあんた、私は私」といった、ちょっと突き放した発想が感じられます。
アーロン収容所に収容された日本人捕虜は、共産主義に染まることも、アメリカ万歳になることもなく、淡々と自分達の敗戦を受け止め、白人と自分達の徹底した違いを見せ付けられて、帰還しました。
変に卑下することも否定することもなく、日本が敗れたという事実を前に、如何に生きていくかというもっぱらの課題を宿題に出されて。
 
 
 


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